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中華料理店のコックから、
クリーニング店の
工場長になりました。

工場長
五ノ井拓馬(2010年入社)

まったく知らないクリーニングの世界へ。

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専門学校を卒業して、ホテルで中華料理のコックをしていました。3年が経ったころ、10年経っても給料が変わらない先輩や、ポジションがなかなか空かない職場を目の当たりにし、ここにいても先が見えないと感じたんです。ちょうど結婚もし「家族を養うために」と転職を決意。ホワイトウイングスは、給与、時間、場所すべての条件が揃っていて、ここしかないと応募しました。募集内容が管理者候補とも知らずに。面接で「君、若いけど大丈夫?」と心配されましたが、もう後には引き下がれない。まったくの未経験からクリーニング工場へ飛び込みました。そして、入社4ヶ月でいきなり工場の管理を任されます。繁忙期の工場では、1日に2500点もの衣類を仕上げなければなりませんが、知識も経験もまったく足りない。うまく指示を出すことができず、作業が滞り、納期内に仕上げられない衣類を大量発生させてしまったんです。


武者修行に出された1年目。

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入社早々大失敗した私に待っていたのは、もっとも規模が大きい焼津工場への異動でした。「納期に合わせた捌き方を勉強してきて」と。驚きました。失敗によって任される仕事が小さくなると思っていたのに、むしろさらに大きな仕事を任されたからです。もうやるしかないと、武者修行と思ってがむしゃらに働きました。おかげで、順序立てて作業工程を考えることや、手をかけても最短時間で終わらせる細かい段取りを学び、次の繁忙期には問題なく工場を回すことができるように。これは自信になりました。焼津工場、清水工場合わせて約1年間の武者修行を終え、ついに安倍口工場と31店舗の管理という新たなステージへ。私も店頭に立って店舗での仕事を学びながら、スタッフさんの目標管理や、お客さまを新たに呼び込む仕掛けづくりなど、新しい仕事を覚えました。目標は売上アップと明確でしたし、結果が数字として目に見えてわかるから、のめりこみましたね。


失敗しても、
チャンスを与えてくれる会社。

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しかし、順調だと思っていた安倍口工場で、2度目の失敗を経験してしまいます。また工場が回らなくなってしまったんです。店舗マネジメントに力を入れすぎて、工場が少しおろそかになってしまったんですね。工場をきちんと回す、工場スタッフさんの教育や指導も同じだけ行うという、肝心なことができていなかった。スタッフさん一人ひとりとの信頼関係の構築もできていなかったと反省しました。現在は、最初に配属された中島工場で工場長として、また一から再出発。ふたたびやり直すチャンスを与えてくれた会社には、感謝しかありません。意欲があって自分で手をあげれば、やってみなさいと背中を押してくれる。任せる風土がある会社。今後は、失敗した経験を生かして、社員やスタッフさんが長く働ける環境づくりにチャレンジしたい。何度失敗しても、また這い上がります。